郊外にある新しい滞在先の農家民宿に無事
着いてホッと一息。
しかし、私は一体どこに来たんだろう、
初めは位置が全くわからなかった。
しかも予想通り
夕食が終わると夫婦は街の家に帰り、
私だけ一人、ぽつんとその民宿に取り残されるのには閉口した。
玄関の外にある頑丈そうな鉄格子は牢屋のよう。
鍵を閉めて夫婦が車で去って行った後は
それはそれは恐かった。
初日の夜はあまりに恐くて初めての夕食がなんだったも
思い出せない。
少しずつ慣れてはいったが
夜の一人は本当に嫌だった。
しかし、
奥さんアンジェラは抜群に料理上手な女性だ。
前のプーリアの奥さんニーナさんも相当上手だったけど、
あれはまさにプーリア州の料理で
昔貧しかった土地柄がよくわかる
野菜と豆中心の料理だった。
アンジェラは
「プーリアではどんな料理が出てきたの?」
と一緒に料理の準備をしながら聞くので
「豆料理が多かった」って
私が言うと、
『豆? 豆なんか毎日食べられないわよね、
プーリアだもん。貧しいからね~豆じゃしょうがないわよ。」
「やだやだ。私はレイコに豆なんか食べさせないわよ」
眉間にしわを寄せて何どもそうつぶやいていたのが印象的だった。
プーリアのニーナさんに対抗意識満々だ。
アンジェラの料理を見て食べ比べると、
やっぱりあそこの料理は
美味しかったけど、野菜・豆が多く
魚介や肉を使った華やかさには欠けていたようだ。
プーリアも、海に近かったにもかかわらず、
魚貝のメニューはほとんどでなかった。
今回、夫婦の住む本宅は地中海沿いの街なので
新鮮な魚がたくさんとれるそうで、
アンジェラは、
漁師が釣ってきたその日、朝に揚がったものだけしか買わないそうだ。
「新鮮でおいしいのよ」
と今度浜の漁師さんの魚屋さんに買い物に一緒に行こうと誘ってくれた。
実際、アンジェラの料理はどれも何もかもおいしかった。
鮮度のいい魚というのがこんなにも味が違うのかと初めて知ったし
そして野菜もとてもおいしい。
私が料理をいつもおいしいおいしいと食べるので
ダンナのエンツォは顔をほころばせて、
「料理上手な奥さんを持つと人生の半分は得した事になるよ」
わたしも
「そうっすね~~」と
相槌を打ちながら、
「料理上手な奥さんを持つエンツォあなたはラッキーですね」
と返すと、
エンツォは増々相好を崩す。
料理の腕もよかったのもあるが
おいしさを実感したのは野菜そのものの味だ。
シチリアの野菜のおいしさはプーリア以上だ。
メルカート・朝市に行くと野菜が普通と違うのが一目瞭然。
カリフラワーやブロッコリー、ピーマンやレタス
どれもこれも普通の(本土で売ってもの)ものより一回り大きい。
巨大野菜なのだ。
これは今から考えると化学肥料の賜物?とも思うが
その大きさにまずびっくりさせられる。
例えばカリフラワーを一個買おうものなら
何品も料理が出来る。
私はカリフラワーのおいしさをその時まで全く知らずに生きてきた。
カリフラワーなんてこの世になくてもいい野菜、
と思っていた。
緑黄色野菜のような栄養的な価値はそうなさそうだし、
味も独特で風味もおいしそうという形容は当てはまらない。
いったい何のために存在するか全くわからない。
料理の仕方もまったくバリエーションに乏しく
茹でてマヨネーズで食べる??? ピクルス? が関の山?
な~んて思ってた。
しかしこのシチリアで食べたカリフラワーで
そのネガティブな貧しい食履歴を一掃することができた。
アンジェラはある日、馬鹿でかいカリフラワーを一個買った。
メルカートでアンジェラとする買い物も
すごく楽しい思い出だが、
その時買った巨大なカリフラワー、
どうするんだ!と
内心嬉しくなかったが
「今日はシンプルにサラダで食べましょう」とアンジェラが言い
小房に分けてシンプルに茹でてた。
そして出来上がって白い皿に大量にど~んと。
湯気がわんわんたったそれを
オリーブオイルをかけて食べろだって。
ふ~~んと思いながらも
一口食べたら
‘〇▲□◎▽!!!‘
言葉に出来なかった。
それはあまりのおいしさに!
え~~これはほんとにカリフラワー!?
日本のと品種が違うのか?
味が全く違う。
いやいや、あの独特な風味と食感は同じ。全く同じだけど・・・・
マヨネーズなんかでごまかさねば食べられなかったものが
何で・・・
なぜ???
この謎は後でとけるのであるが
とにかくシチリアは食の宝庫
野菜、肉、魚、おいしさが飛びぬけていた。
次号に続く