マリアの家での生活にも慣れ、
家と学校の往復に身が入るようになる。
学校にもなじんできたが
しかしイタリア語はそんなに簡単には上達しない。
ジュンコさんの忠告“日本人とはつるむな!”
が頭をよぎるが、
同い年の熊本から来ていたミズヨちゃんと仲良くなって
休憩時間と帰り道はいつも一緒。
身の上話や下宿先のことからイタリア語の文法からいろいろと
母国語でおしゃべり三昧がそれはそれは楽しい。。
あ~~日本語ってなんて心地いいんだろう~~
授業はお昼すぎまで。
一時限は90分。
授業は当たり前だが全部イタリア語。
イタリア人の先生が
イタリア語で教えるのです。
しかも、アルファベットから!
先生はイタリア語でイタリア語を知らない人に教えるのです。
初めはどんなことになるのか、とまったく想像できませんでしたが
あ、い、う、え、お、
のように
小学一年生で学ぶようにやるのです。
しつこいですがそれをイタリア語で!
ずっ~っとイタリア語漬けで頭はイタリア語?日本語?
がごちゃごちゃ。
先生が言ったことをまねる、
文法、つまりイタリア語の法則を覚える、
そして実践する会話の授業。
もうワタクシは30歳になるかならないかで、
学ぶ、からは程遠い生活をしていたので脳が疲れる疲れる。
毎日新しいことを習うので、
まず予習していないとついていけないし
また復習しないと覚えないし。
ほんとうに自分でも信じられないぐらい勉強していた。
「私はレイコです」
「私は日本人です」
「私は〇〇がしたい」
「私は〇〇がほしい」
「私は〇〇できる」
「私は〇〇が好きです」
これが言えると、だいたい意志が伝えられる。
実生活に置き換えると
まずバールで
カプチーノやコルネット(クロワッサン生地にジャムやクリームの入っている菓子パン)
を注文ができるようになる!
次に
八百屋や文房具屋やバスの切符の購入ができるようになる
次のステップは
小旅行。
バスに乗り、電車に乗り、
行った先で声をかけられることもしばしばなので
ちょっとイタリア人とおしゃべりしてみる。
学校が主催する
先生の自宅でやる料理講習にも行ったな。
ジェノバ出身のモニカ先生のお宅、
すて~きなお宅で
お庭に生えているバジルでバジルペーストのパスタを習った。
料理の材料から、器材から、なにもかも目新しく
出来上がったバジルペーストは素晴らしい出来で、
初めて本物のバジルペーストで和えたリングイネを食べ大感激した。
(その他作ったものはほとんど覚えていない(笑))
またこういうのもあった。
例のジュンコさんは、
私が少しでもイタリア人と接することが出来るようにと
積極的にフェスタに誘ってくれた。
フェスタとは日本でいうと“お祭り”という意味ですが
そういう意味もあるが、
この場合はちょっとしたパーティのことだ。
なんということはなしに、皆で集ってわいわい楽しむ会。
ジャンルにこだわらず、
主催者が知り合いに声をかけ、
その知り合いも自分の友人を連れてくる、気軽な会が多かったな~
料理を持ち寄ったりその場で皆で作って飲んで食べておしゃべりをし、
基本はビュッフェスタイル。
食事が終わるとグラスを片手にまたおしゃべりを楽しむ。
ずーとしゃべってるのだ。
これがイタリア人の週末の楽しみ方かぁ~
としみじみ思ったものだ。
日本の宴会?コンパ?(古い!)のようだろうか?でもちと違うな。
ジュンコさんは、
日本人との付き合いが一切ない人だったので
連れて行ってくれるフェスタはすべてイタリア人だけが集まるものだった。
私のような語学だけを学んでいる学生は、
イタリアに住んでいてもイタリア人の家に間借りしていても、
意外にイタリア人との接触はない。
ジュンコサンにはフィレンツェ郊外カンパーニャ(田舎という意味)
での土曜日のフェスタにはよく誘ってくれた。
このフェスタは色々な人と出会えるのも楽しかったが、
学校で習ったイタリア語を実践できる、
自分がどれだけ話せるか試す場だ。
しかし
ボキャボラリーが非常に少ないのでとても大変だった。
なにせ言葉(語彙)を知らないと、話にならないんだもん!
そして相手の話す言葉もわからないし。
フェスタも回を重ねるごとに、
自分の語学力のなさにほとほと疲れ
だんだんこのフェスタも苦痛になってきた。
学校の授業もどんどん難しくなってくる。
短期間で詰め込む
記憶力は衰えているし
会話はかなり難しい。
イタリア人は、
言葉を話せない外国人などにはまったく興味がないので
だんだん相手にされなくなってもくる。
そうすると今度はイタリア人の中に入っていくことが恐怖になっていった。
少しずつドツボにはまっていくのだった
そして、また
日本人とさらにつるんでしまうという。。。。。
次号に続く