列車のコンパートメントには
確か私のほかにもう一人の男性がいたと思う。
コンパートメントとは列車の中が全部区切られた小部屋になっており、
3人×3人の対面の席で構成されている。
たしか奮発して一等席を購入、
イタリア人の不届き者(盗っ人やスリ)にあわぬよう、
念を入れた。
その男性は品のいい、いかにもイタリア人紳士だ。
このおじさんがいるから大丈夫!と
2時間の旅は始まった。
スーツケースにバックパック、
そして財布・パスポートが入ったウエストポーチも
今のところ無事だ。
相当疲れているはずだったが
緊張で眠ることも出来ず
ただただ車窓を見ていたように思う。
でも窓から見えたものを今は一つも思い出すことが出来ない。
一緒に乗っていたコンパートメントの紳士の顔も思い出せない
当たり前かもう8年も前のことなんだからね。
フィレンツェに着いたら
キオスクで
テレフォンカードを購入するという大仕事が待っている。
テレカを買って知人のジュンコサンに電話して駅まで迎えに来てもらうのだ。
その時は
一つ先輩であったジュンコさんがうらめしかった。
ローマ空港まで迎えに来てくれたらいいのに・・・
ジュンコサンからの手紙をもう一度列車の中で読み返す。
Reikoさんへ
ローマ空港から徒歩で空港駅に向かい、
ビリエッテリア(切符売り場)でフィレンツェまでの切符を買って下さい。
フィレンツェに着いたらキオスクでテレフォンカードを買って
それで私に電話ください。
直ぐ迎えに行きます。
切符を買うときは
Vorrei andare a Firenze.(フィレンツェに行きます)
テレかを買うときは
Vorrei comprare la palca terefonica .(テレカを買いたいです)
私を呼び出すときは
Potrei parlare con Junko(ジュンコさんお願いします)
この3フレーズを手紙に書いてくれた。
そもそも私がイタリアに行くことを後押ししてくれたのは
ジュンコサンだ。
イタリアに行こうかと本気で考え始めたとき
たった一人のイタリア在住の知人ジュンコサンに手紙で事情を説明した後
国際電話で
私「ねぇジュンコサン、私本気でイタリア料理勉強したいんだけど。
英語もろくに話せないのに大丈夫かな~」
ジュンコサン「レイコちゃんアルファベットわかるんでしょ?」
私「え~うん。わかるよ~そりゃ!」
ジュンコサン「じゃ、だいじょうぶよ~」
この一言を、天にも上る気持ちで聞いた。
そうか、アルファベットがわかれば大丈夫なんだ!って。
私はその一言で、
何の迷いも無くイタリア行きを決めてしまった。
ほとんど何もしゃべられないままだ。
無謀もいいとこだ。
先ほどの手紙のイタリア語3フレーズを書いてくれたのが
せめてもの救い。
有無を言わせず自力でフィレンツェまで来いと。
今思うと、それがジュンコサンが私に課した第一試験だったんだと思う。
ここまで自力でこれなくてどうして本気でイタリア料理が学べるかと。
フィレンツェと名の付く駅は何箇所もあり
先ほどの紳士に「フィレンツェ?」ときくと
紳士は首をふり、ジェスチャー右手をくるくる回し、
次だよ、と教えてくれた。
あ~やっと着く!
これから私が生活する街。
どんな生活が待ってるんだろう!
車窓から、見たことのない、赤いポピーの花が線路わきに咲いている。
私にとってフィレンツェは、赤いポピーの花。
しかし
その時はまだそこでの生活がどんなものであるか
知る由も無かった。
次号に続く