フィレンツェの友人ジュンコサンのところに厄介になっている最中
早速例の石川氏の息子さんに連絡をとる。
息子のシェフ「あ~聞いてるよ、ところでイタリア語話せんの?」
とてもけだるそうな口調だったのだけはよく覚えてる。
私「いえ、話せません!」
シェフ「全然?」
私「はぁ、ほぼ全然(ほぼはないだろう~」
シェフ「じゃぁだめだな、しゃべれないとお互いストレスだからね」
「話せるまで少なくとも半年かかるだろうから」
私(がっくり)「わかりました~話せるようになったらまた連絡します」
ダメモト精神が強い割りにあきらめと押しが弱い私。
これでこの話は一瞬でおじゃんになる。
何でもっと食い下がらなかったのか、しばらく悶々としていた。。。
代官山まで行ってあんなに期待してたのに、5分足らずの会話でパーに。
人生が思うように行かないのは元夫とのことで学んだが、
またか~~~。こんなに早く(涙)
げ~~~しゃべれないと厨房に入れてもらえないのか!
と初めて言葉の壁にぶつかる。
ジュンコサンと相談、やはり語学学校にまじめに通って
イタリア語をマスターしなければ、
という結論に至り滞在の為に取得してあった学生ビザが役に立つ。
あらかじめ目星を付けておいた学校にしぶしぶ行くことにした。
(学生ビザを取らねば滞在できない為、一応通学するフリをするつもりだった)
そうなると語学学校ってのはどういうものなのか?
学校生活なんて10年ぶり以上だ。私につとまるのか?
学校に行ったら本当に話せるようになるんだろうか?
レストランに断られたことはこの時点ですっかり消滅し、
今度は未知の語学学校への期待と不安。
めまぐるしく変わる自分の状況に、
ただただ後ろを振り向かず前進するのみだったように思う。
そしてジュンコサンの家を出る日が来た。
学校が斡旋してくれたホームステイ・間借り部屋に引越しだ。
ジュンコサンには散々世話になり最後に強く言われたこと、
それは【日本人とだけはつるむな!】ということ。
お金と時間の無駄だと、
早くイタリア語を話せるようになる一番のコツだと教えてくれた。
しかしこの約束がとても難しいことだというがこの時にはまだわからなかった。
次号に続く