こんにちは!
オルチョの輸入もこの春で25年になります。
長いようで、
あっという間だったような気もします。
しかし見てくれは年を取りました~~(笑)
25年前を振り返り、
YouTubeアサクラCHANNELで
「体験談編」というのをはじめ3回分まで取り終えているんですが、
私の、一人でのしゃべりが続くので、
その当時の写真を組み込んだりしています。
昔の写真を引っ張り出し、
懐かしいこと懐かしいこと!
まだ携帯で写真を撮るということはなかった時代でしたので、
紙の、あれね。
山のようにあったんですが、
数年前にかなり処分しましたが、
それでもまだたくさんある!
体験談にふさわしい写真を探していたら
見るのに夢中になり、
当たり前ですが~
あ~~若かったな~と(笑)
オルチョと出会う前のまだ、
自分の行くべき道が定まらず
、
悶々としていた日々の写真もいくつか出てきた。
以前は目を背けていましたが、
今はしっかり直視できる(笑)
この悶々、
だれにでもある、あったと思いますが、
ハテ?と、思い返してみると
私はこれまで、
記憶に残る悶々は3回ほどあったように思います。
1964年9月生まれなので、
昨年還暦を迎えました。
60年ほどで大きな悶々は3回。
これ少ないでしょうか?
ただ、悩んだ時期はたくさんありますよ。
高校2年の時の2学期末のテストで全学年450人中で
448番だったとか(とほほ)
#ほぼビり
頭抱えてやばい、はありましたが、
これは悶々の内には入りません。
自虐ギャグでみんなに言いふらすることで
発散できていましたから。
私の言う悶々は、
発散の糸口がつかめないやつ。
なんだか、もや~っとして、
それを誰に言えるわけでもなく、
心の中で
行き場のないネガティブな思いで
胸がいっぱいになっている状態。
そういった悶々。
一つは新卒で入った会社が、
自分に合わなくてどうしようと思ったとき。
これは今でもその時の感覚を覚えています。
ここではだめだ!って
はっきり分かった時。
いまだったら、だめだったら次!って
簡単に転職できますよね。
あの頃はそういうところ、
いまとはちがってた。
そして二つ目が離婚するって時。
夫婦の間に溝ができたときから1~2年ずっと。
いや~~
あれはキツカッタ。
なんでこうなるの?って思ってましたから。
悶々を通り過ぎて危なかった。
そしてもう一つは、
イタリアに行ったはいいが、
まったく道が開けず、この先どうなるんだろう?
という状況だったとき。
どちらも、その場、その状況で、
それ以上どうしていいかわからず、
焦燥感で満ち満ちていた。
会社時代の写真はさすがありませんが、
イタリアでの写真、
あるある、その悶々が見てとれる。
あ、あの時のあの感情がよみがえる。
いまとなっては、
自力でそこから脱出するべく、もがいた果てに
「行動」によって解決できた。
#行動
#アクション
#実際足で一歩踏み出す
頭で思い悩む時期、
悶々としていた日々があった先の「行動」・アクションは
突破口になる。
#必ずなる
悶々、いいじゃないの。
その、
いや~な時期というのがあるからこそ、それがバネになり得る。
新しく、
自分が想像していない扉が開く(いた)。
オルチョ25年での悶々はないのがありがたい。
スタッフもいる、お客さんもいる、支援者もいる、
大勢の仲間がいる!
#ひとりじゃない
悶々する前にそれらの人々が助けてくれる(た)!
悶々は大いにしておくもんだ、とも思う。
#特に若いうち!
っと、これ書きながら、思いました。
どうしたら突破口が開けるか?
アクションだね~
それは家に閉じこもっていてはだめで、
外に出ること!
それに尽きるような気がする。
書きたかったことと違う展開になった!(笑)
オルチョ25周年に関しては
アサクラ通信4月号で書きました。
#4月になったらHPでご覧になれます
また改めて、
それについての想いを書きたいと思います。
これはイタリアで、悶々を脱した後の写真
ナポリの友人たちと
じゃあまたチャオ